Dec10Mon

プロレスラー 棚橋弘至「僕の人生は春と夏の繰り返し。伸びしろしかない!」

2018.07.01

ドン底の状態でも3年後の自分を信じた。
“疲れ知らず”を貫いたから、“今”がある。

「疲れてません!」。棚橋弘至選手はこちらが投げかけた「先日の試合、お疲れさまでした」の「さま」あたりで、被せるようにきっぱりと言った。当日は、新日本プロレスのトップを決するIWGPのチャンピオンシップで激闘を繰り広げた直後。今年前半は怪我で欠場の期間もあり、万全の体調とは言い切れないなかでの大一番を終えて、心身の疲労は相当なものだったはずだ。それでも、いや、がゆえに、こちらが時候の挨拶的に発した労いの言葉に即応して、力強く、そして爽やかに否定してみせた。これぞ、約20年間、カラダと心を張ってプロレスと向き合った男の矜持。

ここ数年、プロレスが盛り上がっている。ただ、現在の盛況の前には長い低迷のときがあった。ドン底からの浮上の立役者こそ、棚橋選手だ。

「1999年、大学卒業後に入門した頃は新日本にはスターが揃っていて調子も良くて、ドーム大会を年2、3回開催していました。地方会場でも立錐の余地もなくて、壁際を通らないと控室とリングサイドの行き来ができないくらい。このまま普通に練習していたら、近い将来、メインイベンターになってドームの花道を歩ける。そう思っていました」

棚橋弘至

汗臭くないスマートなルックスに惚れ惚れする美しい肉体、そして俊敏でダイナミックな動き。若手時代から抜きん出た存在感があり、新世代のスターになる素質は十分。それでも“未来予想図”通りに事は進まず。2000年代に入ると、『PRIDE』などの総合格闘技人気に押され、会場は閑散とし始める。団体の創業者であるアントニオ猪木自身が格闘技サイドに立って揺さぶりをかけたこともあり、新日本はさらなる迷走に陥っていく。

「2002年、札幌大会のリング上で猪木さんを囲んでの公開問答がありました。一番のスターである武藤(敬司)さんが一部のフロントと一緒に他団体に移籍した直後で、猪木さんは“誰に怒ってるか?”と問いかけてきた。選手が順番に答えていくなかで、“あ、これは質問に答えたら負けだな”と。だから、“俺はこのリングでプロレスをやります!”という意思表明をしたんです」

これがいかにすごいことか。キャリア3年に満たない若手が、アントニオ猪木のプロレスの根底にある“怒り”とは異なる価値観を突き付けたのだ。そこには、棚橋選手のプロレスの“原風景”が大きく関係している。

プロレスは楽しい。その信念は揺るがない。

「大学時代、プロレス同好会に入っていなかったら、プロレスラーにはなっていなかった。学生プロレスってひたすら楽しいんですよ。いかにお客さんにウケるかを徹底的に考え、肉体と表現力を磨き続ける。そのプロセスもまた楽しくて。僕にとってのプロレスの根本は苦しいとか痛いじゃなくて、楽しい! それがカラダから滲み出ていると思うんです。もちろん、プロレスが苦しいこともある。それでも最終的には楽しいが上回るんです」

学生プロレスでは、お笑いの要素をちりばめたプロレスが展開される。いかに観客を笑わせるか、驚かせるかに全力で取り組む。関西学生プロレス界で、棚橋選手は卓抜した肉体とサービス精神を誇っていた。この経験もあっての新日本入門だった。一方で、大学アマレス界の猛者たちが集う当時の新日本では、その出自は公言すべきことではなかった。

「誰よりもカラダを作り、誰よりも体力があれば文句はないだろうと。好きなことを仕事にしたくて新日本プロレスの門を叩いたんだから、楽しくないはずがない! コーチの山本小鉄さんから“3年後を見据えてトレーニングしろ”と言われたことも励みになりました。今日やったことが明日、結果として出るわけではない。それはトレーニングの成果も、新日本の盛り上がりも同じ。会場の入りが良くないと投げやりになっては何も生まれない。今日の試合が何年後かに結実すると思えば、一試合たりとも手を抜けないんです」

トレーニング1
トレーニング2
道場ではスパーリングに加え、マシン、フリーウェイト、自重を組み合わせてトレーニング。「以前はウォーミングアップで60kgのバーベルを上げてました。最近はストレッチとカーディオ系を必ず入れます。疲労の蓄積を軽減するため? いや、疲れたことないですから!」。

今に繋がる“起点”となる試合がある。2006年の札幌大会、棚橋選手のIWGP初戴冠となる試合がそれだ。観客動員が芳しくないなか、強豪チャンピオンが試合をドタキャンしての王者決定戦に勝利したリング上で涙ながらに言葉を絞り出した。

「今日集まってくれたファンのみなさん、愛しています。やっぱり俺は新日本プロレスを愛しています」

大きなうねりを生むことはなかったが、静かなる感動は確かに喚起した。小さな種が撒かれた。ただし、“ストロングスタイル”を標榜する団体の熱心なファンからは、陽性のキャラクターや言動は“チャラい”と評され、反発を受ける日々が続く。悶々とするなかでも、“3年理論”を忘れることはなかった。

「自分ではなく、相手を光らせることで新日本に恩恵を与えられたらいい。僕のことを嫌いな人が多くても、試合は盛り上げられると気付けたのは大きかった。でも……、本音を言うと棚橋の良さが分からないファンはモグリだと思ってました(笑)」

プロレスとは絶対的に楽しいもの。ブレない信念は徐々にファンに浸透。それに伴い“猪木信者”とは一線を画した新規のファンも増え、会場には再び熱気が戻ってきた。

「まずはライブの反応を大切にしたい。一緒に盛り上がろうぜって。僕はプロレスを本気で楽しむから、お客さんにもとことん楽しんでほしい。まだまだプロレスを知らない人が多い状況だからこそ、みんなをもっと巻き込みたい。棚橋弘至を見てれば絶対に楽しいから(笑)」

ハイフライフロー
棚橋選手のフィニッシュホールド、ハイフライフロー。トップロープに一気に駆け上がり決める。「初見の観客にもインパクトがあり痛みが伝わる」。

棚橋選手によって、鈍色のストロングスタイルは、華やかさとポップさを帯びるようになった。プロレスの“間口”を広げたのは彼の功績だ。

「リング上では感情を隠さない。楽しいだけでなく、悲しいも。リング上でよく泣くんですけど、悔しいのも、感謝の気持ちも全部本音。ファンの人たちの“頑張れよ”って気持ちも背負ってリングに上がります」

肉体と表情に若さを湛えつつも、気付けば41歳。プロレスラーとして夏から秋への移行といったところか。

「何言ってるんですか! 夏が終わればまた春が来るんです。まだまだ春と夏の繰り返し。試合前には変わらずドキドキする。今の僕には伸びしろしかないんです!」


棚橋弘至さんの動機と継続力から学ぶこと
1. 「疲れた」はご法度。「疲れてない!」と積極的に言葉にする。
2. 「楽しい!」という初期衝動をカラダ全体に染み渡らせ続ける。


●たなはし・ひろし 1976年、岐阜県生まれ。99年、立命館大学卒業後新日本プロレス入門。同年デビュー。2011〜12年にIWGPヘビー級王座を11度防衛。今年9月21日、主演映画『パパはわるものチャンピオン』が公開。


高木美帆、葛西紀明、志村けん…and more! Tarzan744号では各界のトップランナー35人の「動機と継続力」を高める言葉を紹介。


Tarzan No. 744 やり遂げる! 掲載 〉
取材・文/山口 淳(本誌) 撮影/内田紘倫 写真提供/新日本プロレス