Oct22Sun

板橋美波(飛び込み選手)インタビュー「納得できる演技ができれば、それだけで満足なんです」

2017.07.27

小学校3年生で飛び込みの面白さに目覚めた少女は、日本のエースに成長した。今、世界中の女子で彼女しかできない大技を引っ提げて、世界と戦っているのだ。

板橋美波

「飛び込みという競技の魅力は、最後まで誰が勝つのかわからないところですね。一度でも失敗してしまうと、順位がガラッと変わりますから。だから今日も最初に基礎練習を繰り返し練習していたんです。基礎をやっておかないと、難度の高い技になったときに、それを生かすことができなくて、あとで絶対に後悔することになってしまうんです」

飛び込みの若きエース、板橋美波は自らが心血を注いでいる競技について、まずこう語ってくれた。板橋は昨年行われたリオデジャネイロ・オリンピックの女子10m高飛び込みで決勝に進出して、見事、8位入賞を果たした。これは1996年に開催されたアトランタ・オリンピックの元渕幸(3m飛び板飛び込みで6位入賞)以来の快挙で、高飛び込みでは1936年のベルリン・オリンピック以来の入賞であった。いかに、日本がこの競技において世界の壁に阻まれてきたかが、この事実だけではっきりとわかる。そして、この壁にキリを揉み込むようにして、穴を開けたのが板橋なのである。

板橋美波

と、まずは飛び込みのルールを簡単に解説したい。女子では5回の試技を行う。この試技はすべて違う演技を行い、選手は演技の種類を事前に審判に提出する。ここで、演技の難易率が決められ、実際の演技を7人の審判員が0〜10点の0.5ポイント刻みで採点する。そして、7人の採点の上位2人と、下位2人の採点を省き、中位3人の採点に難易率をかけたものが、得点となる。採点のポイントは、提出された演技であるか、開始姿勢、アプローチ、踏切、空中演技、入水など。とくに、水飛沫を上げない入水をノースプラッシュと呼び、高い点数を得ることができる。板橋が最初に言っていた基礎練習のひとつが、この入水なのである。実は、彼女は女子でただ1人しかできない大技、つまり難易率がもっとも高い技を持っている。それが、“109C”、前宙返り4回半抱え型だ。リオの決勝ではこの技は回避したのであるが、もしこの技を行って成功していれば、順位はもっと上だったであろう。それを含めてオリンピックについて語ってもらった。

板橋美波

「出場が決まってから半年あったんですが、あっという間で、リオに入って競技するまでも、あっという間だったんです。だから、もうちょっとできることがあったんじゃないかと思います。ただ、この経験が東京オリンピックに繫がるとは考えていますね。メンタル面でも強くなりましたし。自分でも驚いたのが、普通の大会よりも緊張しなかったこと。さすがに決勝は少ししたけど、予選、準決勝はのびのび演技できました。前宙返り4回半抱え型は、ずっと前から決勝だけで飛ぶ予定にしていたのですが、飛べなかったのは確かに悔しい。ただ、飛んでいたら、多分、失敗していたと思います。競技の3日前ぐらいに感覚がおかしくなってしまったんです。日本でもニュースになったと思うんですけど、プールの水の色が緑になってしまっていて、ずっとそれで練習していたんです。それが、試合直前で透明な水になって、まったくわからなくなってしまった。演技中は距離感とか、いろんなことを目で確認するので、緑だったのがなくなってしまうと、どうすることもできなかったんです」

競技を終えたあと、板橋は涙を見せた。どんな感情が、彼女を襲ったのであろう。

「悔しいという気持ちはありましたけど、もっと違う感じでしたね。半年間、頑張ってきて、やっと緊張が解けた。とりあえず、このオリンピックは終わったと思ったら、なぜか涙が出てしまった。なんだったんでしょうね、あれは(笑)」

板橋美波

チームに入って厳しくて、こんなはずじゃ、って感じ。

小学校1年生で競泳を始め、3年生のときに飛び込みに転向した。きっかけは、アトランタ・オリンピックから4大会連続でオリンピックに出場した寺内健と、彼を育て上げた馬淵崇英コーチから“やってみませんか”と誘われたことだった。

「それで、3か月間の体験コースに入ったんです。そのとき、すごく遊ばせてくれたので、楽しくてしょうがなかった。週3回でしたが、行くのだけでもワクワクしていました。それで、コースが終わったときに、馬淵かの子先生(元五輪選手、中国人であった崇英コーチに日本の指導者になるよう誘い、コーチは帰化したときに馬淵姓を名乗るようになった)から“アンタ、来週からウチのチームに上がるからね”と言われて……、気づいたらやめられなくなっていました。チームに入ったときは、体験コースと違ってすごく厳しかったから、こんなはずじゃなかったのに(笑)、って思いながらやっていました。あと、小学校6年生で崇英コーチのチームに移って、そのときも、こんなはずじゃあって感じでしたね」

板橋美波

厳しいといっても、その頃の板橋にとって飛び込みは、習い事のひとつという感じであった。競技として向き合おうとはっきり決めたのは、14歳のとき。日本選手権に出場して、3m飛び板飛び込みで最年少優勝を飾ったときだった。ただ、勝ったのがうれしかったから続けよう、ということではなかったのだ。

「高飛び込みでは銅メダルだったんです。それで、もっと上を目指したいと思うようになった。そこから、オリンピックや世界選手権に出場した選手と一緒に練習するようになって、追いつきたいという気持ちになっていったんです。ただ、一方では、自分のレベルではそこまではいかないだろうとも考えていました」

そして、オリンピックを翌年に控えた2015年、15歳のときに板橋は全国的に名が知られるようになる。この年の全日本室内選手権で、初めて前宙返り4回半抱え型をほぼ完璧に決め、日本女子初の400点超えをマークしたのだ。ただ、この年にロシアのカザンで行われた世界選手権では、予選で前宙返り4回半抱え型を成功させて6位通過をしたものの、準決勝で失敗して敗退。それ以降は精彩を欠く日々が、ずっと続いてしまうのである。

板橋美波

「日本選手権で優勝を逃し、世界選手権も満足がいかない結果。9月にアジア選手権があって、そこで優勝すればオリンピックの内定が取れたんですけど、4位になってしまって。あの年は泣きっぱなしの一年でしたね。前宙返り4回半抱え型で有名になってしまって、その技自体には自分も自信があったんです。でも、テレビなどのメディアで“金メダル候補”って言われるたびに、すごく気負ってしまい、どんどん気持ちが下がっていってしまった。そして、それに合わせるように、試合の結果もズタズタ。何してるんだって感じでしたね。このことで飛び込みが少しでも広まることはうれしいんですけど、騒がれることにあんまり強い方ではないので……。今だから言えるのですが、報道してくれるのはありがたいですけど、テレビに出たくはないなぁって思っていましたね」

オリンピックの出場が決まったのは翌年。FINAダイビングワールドカップで9位に入り、その切符を手に入れたのだ。ただ、板橋と馬淵コーチは、東京オリンピックを目標にずっと計画を進めていたため、リオへの出場は非常に大きな驚きだったらしい。

板橋美波

さて、板橋は今、兵庫県にあるJSS宝塚スイミングスクールを本拠地として、練習の日々を送っている。まだ高校3年生だから、勉学と両立させなければならないので、大変なのである。

「平日は朝、学校に行って午後4時半から9時まで練習します。土・日曜日は朝9時から、1時ぐらい。午後があるときは、2時半から7時半とかです。飛ぶときは10m(高飛び込み)だけで午前で40本ぐらい、午後も合わせると100本近くになることもあります。さすがに、このときはカラダに負担がかかりますね」

そりゃあ、そうだろう。10mの高さから落下すると、入水時のスピードは時速50km以上になるのだ。これを100回繰り返すというのは、いくら熟練した選手といえども、大変であろう。「スポーツ選手はケガがつきものですから」と、板橋は笑うが、それにしても超人的と言おうか、まったくスゴイの一言である。そして、もうひとつ重要なのが体重管理。

「体重が増えると、回転が遅くなってしまうので、絶対に太れないです。コーチに“この体重”と言われたら、できるだけその前後をキープできるように気をつけています。自分は増えたり、減ったりが激しいので、できるだけ太りそうなモノは食べないようにしていますね」

板橋美波

東京までの4年間は、ほぼ完成からのスタート。

この『ターザン』の発売は7月20日。そして、ハンガリーの首都ブダペストで開催された世界水泳の女子飛び込みは7月18、19日であった。読者の皆さんは、板橋の活躍をすでに見たかもしれない。そして、彼女は今、高校3年生、17歳である。まだまだ伸びしろがあるだろうし、東京オリンピックのときには20歳となり、選手として成長し、充実した時期に差し掛かっていることだろう。それだけに、こちらの期待も大きくなるのだが、この先、彼女はどのようにして、東京へと歩みを続けていくのであろうか。

「とりあえず、ロンドン・オリンピックの年から飛び込みを始めて、本当に4年間必死でやってきた。それでリオに出場することができたんです。でも、東京オリンピックまでの4年間は、ほぼ完成した状態からのスタートなので、あとはもっと高度な入水技術を身につければ、リオよりもいい結果になると思っています。実は、私はちょっと猫背なので、入水するときの姿勢があまりよくないんです。だから、今は肩甲骨まわりを鍛えたりして、姿勢を正しくすることから始めています。今は、以前と比べると少しよくなったと思います。東京は最初からの目標ですから、やっぱり獲りたいのは金メダルですが、自分が納得できる演技ができたら、それだけでも満足なんです」


●いたはし・みなみ 2000年生まれ。150cm、48kg。14年の日本選手権で、高飛び込みで優勝。史上最年少の14歳だった。同年の仁川アジア大会では、3m飛び板飛び込みで7位、10m高飛び込みは5位。16年FINAダイビングワールドカップで9位になり、リオデジャネイロ・オリンピックの出場権を得る。オリンピックでは8位入賞を果たす。


Tarzan No. 723 ゆるめる+伸ばす=柔軟なカラダ! 掲載 〉
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴