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設楽悠太(マラソン選手)インタビュー「記録を1年に1分強ずつ縮める。そうすれば、3年で2時間4分台に近づける」

2017.04.30

トラック競技ではスピードに定評があった彼が、いよいよマラソンに挑戦した。世界記録が2時間2分台となったこの舞台で、どんな活躍を見せてくれるのか。

設楽悠太

東京マラソンで、すばらしい走りを見せてくれたのが設楽悠太である。記録自体は2時間9分27秒で、全体の11位、日本人では3位という、決して褒められたものではない。ごくごく平凡な記録だ。しかし、前半に見せた積極的な走りは、称賛に値するものだったのだ。とにかく、5kmごとのラップがすごい。最初の5kmを、なんと14分31秒で通過。これは、日本記録を23秒上回るペースである。そして、20kmまで5km14分台のラップを刻み続けたのだ。20〜25kmは15分15秒と下がったが、この時点でもフィニッシュの予想タイムは2時間4分35秒と、日本記録を2分近くも上回るペースだった。

マラソンの世界記録はケニアのデニス・キメットが持つ2時間2分57秒で、今回の東京マラソンではこれまたケニアのウィルソン・キプサングが2時間3分58秒でゴールしている。今や、マラソンは持久力勝負ではなく、スピード勝負の時代へと突入している。そして、このスピードにまったく対応できていないのが日本人選手なのだ。どの大会を見ても、誰もケニアやエチオピア勢についていこうとせずに、日本人で集団を作って走る。そして、あわよくば落ちてきた選手を拾って、順位を上げようと考える。しかし、こんな走りをしていては、いつまでたっても差は縮まらないどころか、広がる一方なのだ。だから、今回の設楽の戦い方は、日本人選手としては実に価値あるものだったのだ。設楽はこれが初マラソン。まずは大会について聞いた。

設楽悠太

「去年から東京マラソンで勝負すると決めていました。初マラソンに挑戦するというのではなく、あくまで勝負だと考えていたんです。だから、最初から攻めの走りで行った。もう少し抑えたほうが、後半にもっと行けたんじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、やっぱりあの攻めの走りをするのが、僕のスタイルなので、あれはあれでいい走りができたと考えています。タイムでは物足りない部分はありますが、まず2時間10分を切れたということは、今後に繫がるいいレースができたと思っています」

もうひとつ、特筆すべきことがある。この大会では、1kmを2分54秒、2分58秒、3分で走るペースメーカーをそれぞれ配置した。だが、キプサングが大会前に世界新記録を狙うと宣言したこともあってか、ペースメーカーが5人で先頭集団を引っ張り、最初の5kmを14分14秒というとんでもないスピードで走り、その後も設定を無視したハイペースを保ち続けた。本来、風よけにならないよう、各組のペースメーカーは3人までという規則があるのに、である。設楽は2分58秒のペースメーカー2人(先頭を走っている)についていくはずだったが、蓋を開けてみればみんな先に行ってしまい、ペースメーカーは不在。そんななかで20kmまで一人で14分台を刻んだというのは、彼に力がある証拠でもあるのだ。

「ペースメーカーが先頭集団に行ってしまって、予定とはまったく違い、終始、自分でレースを作るカタチになってしまいました。走っていて最初はしょうがないなと思いましたけど、やはり厳しいものはあった。ただ、マラソンに向けての練習はしっかりできていたので、自分でもレースを作ることができたのは、ひとつ自信になりました。そして今は、あとスタミナの部分を少しずつ強化していけば、世界との距離は縮まっていくのではないかと考えています」

積極性こそが、設楽の持ち味。そして、彼は初マラソンを走り終え、すでに世界を見据えている。これは、日本のマラソン界にとって明るいニュースであろう。

設楽悠太

いつも走っているときは、横に兄貴の啓太がいた。

小学校6年生のときに地元のクラブで双子の兄・啓太とともに陸上を始めた。
「ただ、持久走の大会とかは学校であったのですが、全然速くはなかった。学年の中でも真ん中ぐらい。兄貴のほうは速くて学年でもトップクラスでした。クラブに入ったのは、自分たちからやりたいと言ったのではなく、親の勧めでした。土日に家でゴロゴロしているんだったら、少しはカラダを動かしたほうがいいんじゃないかと思ったんでしょうね」

それだからか、真剣に取り組むことはできなかった。準備体操をいいかげんにやって注意されたこともあったようだ。しかし、地元・埼玉寄居町の駅伝の大会で区間記録を出して、心境が変わってくる。陸上が楽しくなってきたのだ。そして、中学では陸上部に入ることになる。

「全然無名の中学校でしたが、僕たちが入ってから、少しずつですが、実績を残せるようになったんです。3年生のときに全中駅伝(全日本中学校駅伝大会)に出ることができたのですが、これも初出場でした。小学校から一緒だった、兄貴よりも速い子がいたりして、たまたまいい選手が揃ったのがよかったんですね」

設楽悠太

埼玉の武蔵越生高校に進学。こちらも、有名高校ではない。埼玉といえば、埼玉栄高校がずば抜けて強いことで有名だ。

「中学校では全中駅伝が目標で、それを達成するために、毎日走り続けていました。そして、達成できたのはずっと僕の横に兄貴がいたから。負けたくないという気持ちを持っていたので、成長できた部分もあります。高校も一緒だったのですが、少し兄貴のほうがレベルは上だった。でも、少しずつ差が縮まるようになっていった。それでも、3年生のときに二人一緒に出場したインターハイの5000mでは、兄貴は決勝まで行って、僕は予選落ちしてしまった。間近で決勝のレースを見て、本当にすごいなと思いましたし、この悔しさは秋の駅伝の予選にぶつけてやるという気持ちになりました」

その高校駅伝の予選では、兄が1区のエース区間で、弟は1区に次ぐ長い区間、3区を任された。そして、兄弟ともに区間賞を獲り、全国への切符を手に入れたのである(設楽のチームは埼玉県代表で出場し、埼玉栄も北関東地区代表として出場した)。そして、二人は東洋大学へと進学する。そこには柏原竜二をはじめ、強豪選手が顔を揃えていた。

設楽悠太

「強い先輩がたくさんいたので、最初は全然ついていけなかったです。でも、徐々についていけるようになった。そして全日本(大学駅伝対校選手権)と箱根は1年生のときから出場させてもらいました」

1年では兄が2区、弟が3区を任された。そして、兄はまずまずの結果を残すが、弟はチームの足を引っ張ってしまう。“設楽の弱いほう”と、陰口を叩かれることもあったようだ。少しでも兄に近づきたいと思った。そして、練習に限らず、私生活から食事、睡眠までも見直した。

「野菜嫌いでほとんど食べなかったんです。毎日のように監督に、野菜を食べろと言われていたんですが、1年のときは聞き流していた。でも、箱根が終わってからは、少しずつですけど食べるようにしていった。すると練習にも余裕ができてきた。これまで以上をこなせるようになっていったんです。血液検査でも、練習後の疲労物質が少なくなったし、ヘモグロビン(血中で酸素を全身へ運ぶタンパク質)の数値も上がった。いい方向に進んでいったんです」

設楽悠太

その結果は、翌年の箱根で表れる。佐藤悠基の持っていた7区の区間記録を更新し、東洋大学の優勝に貢献したのである。大学卒業後、兄とは違う道を進みだす。兄はコニカミノルタへ、弟はホンダへ入社したのだ。そして、2016年に1万mの日本代表として、リオデジャネイロ・オリンピック行きを決める。兄に追いつき、追い抜いたという気持ちはあっただろう。だが、レースの結果は29位と沈んでしまった。

「オリンピックの難しさというのは、すごく感じました。でも、あの場所で世界のスピードを経験できたからこそ、東京マラソンの走りができたと思っている。あれがなかったら、あれほど突っ込んでいけなかったでしょうね」

トラックからロードへ。冒頭で設楽はスタミナ強化を課題に挙げたが、具体的にどんな練習をしようと考えているのか。
「今回のレースでは、30km以降で世界とのレベルの差を感じました。だから、そこをどう縮めていくかが課題となる。僕の場合は、これまでも距離を踏む(長距離を走る)というよりは、耐える練習をやってきました。ですから、これからも、そのような練習を行っていく予定です。たとえば、夏場ならトラックで1000mを10本とか、冬のスタミナをつけたい時期なら5kmを4本とか。耐える練習をして、しっかりと粘れるようになれば、記録も伸びていくと思います」

設楽悠太

世界陸上で入賞を果たせば、何かをつかめると思う。

設楽と同世代には兄の啓太、大迫傑、服部翔大など強い選手が揃っている。豊作の年なのだ。しかし、3年後に迫った東京オリンピックでは、誰かが出場を果たし、誰かが出場を逃すことになるのか。

「同世代とは切磋琢磨することで、成長することができたと思います。だから、これからも一緒に日本の陸上界を盛り上げていきたい。誰が出場するとかではなく、3年後は少しでも世界に近づけるように、僕ら世代ががんばっていかなくてはと考えています。そうすれば、後を継ぐ世代も育ってくれるはずですから。そして、僕自身は、これから東京オリンピックまで、マラソンを1年に1本走ろうと考えています。合計3本ですね。そして、そのつど、1分強ずつ縮めていけば、3年後には2時間4〜5分台に近づけると思う。それを頭に入れながら、進んでいきたいです。もしオリンピック代表になったらですか? メダルと言いたいところですけど、世界陸上やオリンピックを経験させてもらって、結果を全然残していないので……。この先の世界陸上で、まずは8位以内に入賞したい。そうすれば、これまでにはない何かをつかめると思う。そして、結果が出せてから、メダルを獲ると言いたいんですよ」


●したら・ゆうた 1991年生まれ。170cm、49kg、体脂肪率13%。小学校6年で陸上を始め、中学、高校と全国大会出場。東洋大学では4年連続で箱根を走り、2年時には区間新記録を出して優勝に貢献する。4年時にも優勝を果たす。2015年、1万mで世界選手権に出場し、16年にリオデジャネイロ・オリンピック出場。今年、東京マラソンでマラソンデビューした。


Tarzan No.717 腹SUPER割 掲載 〉
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴