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東 克樹(プロ野球選手)インタビュー「目の前の試合を大事にしていけば、数字はついてくる」

2018.08.21

高校時代は緩急とコントロールが命のピッチャーが、150km/hの速球を駆使する本格派に変化していった。
そんな大卒のルーキーが、今プロ野球で活躍している。

東 克樹1

驚くべきルーキーが現れた。横浜DeNAベイスターズのピッチャー、東克樹である。7月17日までの成績は防御率2.79(セ・リーグ4位)、勝率.600(同6位)、奪三振率8.46(同3位)。勝利数は6勝と7位ではあるが、今年初めてプロのマウンドに立ったことを考えれば、すばらしい成績といえよう。彼自身はこれまでの活躍をどのように捉えているのか。

「前半で初勝利、そして初完封もできたので、まずまずのスタートが切れたのかなぁ、って思っています。一応、ローテーションの一人にもなれましたし。大学のときも1週間に1回、投げていたことはあったのですが、期間が2か月ぐらいと短かった。プロでは、それが何か月も続くということで、体力的な面、精神的な面がアマチュアとは違うなぁと感じています」

「ただ、これまでは順調だったけど、実際にはこれからだと思っています。いろんな人に8月、9月に勝てるピッチャーじゃないと、本当に価値あるピッチャーになれないと言われますからね。夏場をいかに乗り越えるかがポイントです」

初先発からしてすごかった。チーム5戦目にあたる4月5日の阪神タイガース戦。先発デビューした東は、7回6安打の好投を見せる。チームが完封に抑えられたため勝利を逃したが、4月12日の巨人戦では5回3分の1を3点に抑えて、見事、勝利投手に。さらに、5月16日の阪神戦では初めての完封勝利。今年の新人では完封一番乗りとなったのだ。

東は大学出身で、高卒ルーキーとは違い、より高度な野球を経験してきている。しかし、それがプロの世界で通用するかといえば、なかなか難しい。本当に選りすぐられた人のみに、門戸が開かれる場所だからだ。アマチュアで活躍しようとも、入り込む余地はなかなかない。

東 克樹6

「初先発のときは、試合前までは顔色が悪いなんて言われて、自分も緊張しているのがわかりました。ただ、マウンドに上がってからは、すんなりと試合に入ることができましたね。ハマスタ(横浜スタジアム)だったのですが、声援がすごくて。今まで味わったことがなかったし、独特な雰囲気を感じることもできた。プロの応援は生で聞くと、こんなにすごいんだと思いましたね」

「子供の頃は応援する側も経験していますし、今は応援される側。応援する側のときには、プロというのは雲の上の存在だと思っていました。今、実際、プロとして球場の中心に立ったとき、ひとりひとりの声援は大事だと痛感した。すべての声がはっきりと聞こえるので、ピンチのときとか、それが大きな力になってくれるんです」

東は身長170cmと、小柄である。しかし、カラダ全体をバネのように使ってのオーバースローは、リリースポイントが高く、ボールの高低差が大きい。速球は150km/hを超えるし、チェンジアップ、ツーシーム、スライダーなど変化球も多彩だ。調子のいいときは、まったく打たれるような感じがしない。しかし、彼自身は、自分のピッチングはまだまだだと考えているようなのだ。

「変化球でカウントは取れるんですけど、トップレベルの選手と同じではないんです。だから、まだまだかなぁ、と思っています。巨人の菅野さんなどは、制球力がまったく違います。見ていて、こっちが気持ちいいぐらいの球を投げるんで。ボールの出し入れ(ストライクとボールの使い分け)、打者との駆け引きも、これから自分のモノにしていきたいです」

これからの自分に、期待しているといったところであろうか。まだ22歳の若者である。夢は大きいのだ。ちなみに、東のグローブの手のひらの部分には“金のうんこ”と“白い星のマーク”が刺繍されている。白星を挙げて、金運をつかむという意味で、彼自身が考えたらしいが、これも屈託のない若者の、願掛けといえないことはないだろう。

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高校と中学では、レベルが全然違った。

小学校1年のときに地元・三重県四日市市の三重クラブ野球少年団で野球を始める。たまたま、父親が少年野球をやっている場所に連れていってくれたのがきっかけである。

「その頃、水泳と書道をやっていて、これが野球の練習時間と重なってしまっていた。それで、親にどうしたいのかと尋ねられて“野球がやりたい”と言ったらしいんです。自分ではまったく覚えてないですけど」

子供の頃の一番の思い出は、四日市市の大会で優勝したこと。小学校5年生のときだった。ただ、そのチームは全国に進めるほどではなかった。それでも、野球をやる楽しみを、ここで覚えていったのである。

そして、中学校に入ると、四日市トップエースボーイズというチームに所属する。ここで、初めて硬式野球をプレーすることになった。多くの野球選手は軟式と硬式の違いに対して、ひとつの見解を持っている。これまで取材したなかで、誰もが言ったことが、硬式はボールが弾まない、打球のスピードが速い、ということである。ところが東は……、

「硬いなぁ、当たったら痛いだろうとは思いましたけど、初めて硬式を投げたときのことは覚えていないぐらいだから、わりとすんなり入っていけていたんだと思います。今、考えればボールが弾まないというのはわかるのですが、そのときはまったくそんなことは考えなかった。恐怖心もありませんでしたからね」

東 克樹3

そして、この中学時代に、元大リーガーの野茂英雄さんが率いるJUNIOR ALL JAPANの一員に選出され、初めてアメリカに遠征するのである。日本とアメリカの違いをどのように感じたのか。

「デカイなぁって思いましたね。ホントに中学生かって。飛ばす力も全然違ったので、さすがアメリカだなぁって感じていました。ただ、中学生ですから、アメリカがどうこうというよりは、自分の長所を生かして勝とうということばかり考えていました。その頃は、コントロールと緩急で打ち取るタイプ。今とはまったく違ったんですよ」

高校は愛工大名電高校。ご存じ、イチローが卒業した、高校野球の名門である。ここを選んだ理由は、まず愛知は甲子園を目指す高校の数が多いこと。そして、数が多いだけにレベルも高く、そんななかで野球をやってみたかった、ということだ。

「中学と高校ではレベルが全然違いましたね。1年生のときに練習試合に初登板したんですけど、1回2アウトで降板になってしまった。確か、7失点でしたね。中学では普通に抑えることができた球が、簡単に打たれてしまう。カラダつきも、高校3年生と中学卒業したばかりではまったく違いました。当たり前ですが」

高校時代、東の1つ上には濱田達郎がいた。濱田は2012年、ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団した投手で、高校時代は現阪神の藤浪晋太郎とともにAAA世界野球選手権の代表にも選ばれている。東が2年のときに愛工大名電高は春夏連続で甲子園に出場を果たしたが、東は出場機会は得られなかった。そして、濱田が引退した3年の夏に、エースとして甲子園に出場したのだ。

「その頃も、スピードはないですし、中学からの緩急とコントロールで投げていました。だから、プロに入るってことも頭になかったです」

夏の甲子園は1回戦福島県の聖光学院高校との対戦で、先発投手として出場。5回まで被安打2としながら、逆転で敗退。短い夏は終わった。

東 克樹4

プロに行けば、もう少し成長できる。

そして、京都の立命館大学に進学する。このあたりから彼のピッチングが変わっていくのだ。体重が増え、スピードがついた。1年からレギュラーで中継ぎ、救援と活躍し始める。

「高校はある程度決められたメニューですが、大学ではフリーなことが多く、自分で考えて取り組むということを覚えました。ただ、自主性に任せるということは、さぼることもできるわけです。自分がそうならなかったのは、まず試合に出させてもらっている、という責任感ですね。そして、2つ上の先輩に桜井(俊貴)さんや、社会人に行った西川(大地)さんがいて、上のレベルの野球を身近に感じることができた。先輩に追いつきたいというか、それも大きなことでしたね」

3年になると、その桜井からエースを引き継ぐ。そして、3年時、4年時の春季リーグでノーヒットノーランを達成するのである。1人の選手による、複数回ノーヒットノーランは、関西学生野球で初の快挙であった。また、4年間の防御率は1・05。こちらも、かなりすごい。もちろん、プロのスカウトたちは俄然注目し始めるし、東自身もプロについて考えるようになっていった。

「4年の春以降、プロに行きたいと考えるようになりました。といっても、プロに選ばれたいというよりは、プロに行けばもう少し成長できるんじゃないかと思ったんです。いろんな世界が見られるし、もうひとつ上を目指してみたかった。ノーヒットノーランを2回したから、防御率がいいから、プロでやれるという考えはまったくなかったんです」

そして17年のドラフト会議で、DeNAから1位指名を受けたのだ。

東 克樹5

登板した翌日は、下半身のトレーニング。

冒頭に東が語ったように、プロは長期に及んで野球を続けなくてはならない。彼の場合は一応、中6日で登板が回ってくる。ルーキーはどのように体調を維持しているのか。

「トレーナーさんによく見てもらっています。カラダが張っているなら、その場所を言って、すぐに治療してもらう。だから、心配はしていません。筋力トレーニングもやります。登板の次の日は下半身、その翌日は休んで、次に上半身。マシンもダンベルも使います。ただ、追い込んでやることはありません。筋力の維持程度です。筋肉はつけすぎると、動きにくくなることもありますから」

プロ野球は、まだ後半戦に入って間もない。これから10月中旬までゲームが続いていく。東はこのシーズンをどのように進んでいくのか。

「今シーズンはプロでの一年間を理解したいです。数字はあとからついてくると思うので、目の前の一戦一戦を大事にして、一週間を過ごしていきたいです。そして、長いスパンで考えれば、10年以上はプロでやっていきたい。自分のカラダは自分しかわからないので、ケガやカラダのケアには気をつけたいです。そして、チームが優勝するのに、少しでも貢献できたらと思っています」


●あずま・かつき 1995年生まれ。170cm、76kg。愛知工業大学名電高校で夏の甲子園に出場。立命館大学では3、4年時にノーヒットノーランを達成する。ドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入団。開幕ローテーション入りを果たし、プロ2戦目の巨人戦で初勝利。阪神戦では完封勝利を飾る。最速152km/hの速球が武器。


Tarzan No. 747 男と女の、ハンサムSEX。 掲載 〉
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴