May24Thu

秋山翔吾(プロ野球選手)インタビュー「フルイニングに出場して、 ケガをせず結果を残したい。」

2018.05.11

決して恵まれた環境ではない中で、夢に向かって突き進んだ少年がいた。
彼は日本のシーズン最多安打記録を塗り替え、昨年は首位打者にも輝いた。

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2015年、それまでマット・マートンの保持していたシーズン最多安打記録214本を抜き、216本の記録を樹立したのが、埼玉西武ライオンズの秋山翔吾である。この結果が示すように、バッティングの実力は、もう言うまでもない。だが、彼の魅力はそれだけではない。守備範囲が広く、肩は強く、そして俊足でもある。使い古した言葉で表現すれば、走攻守三拍子揃った外野手なのだ。

昨シーズン、彼の所属する埼玉西武は、就任1年目の辻発彦監督のもと、見事Aクラス入りを果たし、2位で終わった。それまで3年連続でBクラスに甘んじていたので、今回の順位は多くの解説者たちに評価された。Bクラスから2位への躍進は、次のシーズンの優勝にも十分な期待を持てる、と。確かに昨年のライオンズには打線の繋がりを感じたし、ピッチャーの継投もうまくいっていたようだった。優勝を狙える好位置につけたシーズンだったと、多くの人が思う中で、秋山はまずこのように振り返った。

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「毎年、優勝に絡んでいるチームだったら、2位という成績には納得できないと思います。僕らはBクラスにいたから、よかったですね、といろんな方に言われますけど、毎年、優勝を目指してやっているので、それがこの結果だったというのは、やはり残念です。1年間の長いペナントレースを戦って、報われるのは優勝という言葉だけなんですよね。ただ、クライマックスシリーズをホームでできた、ということだけはファンの皆さんのために本当によかったと思っています」

では、個人ではどうか。昨年、彼は首位打者と最多安打の2つのタイトルを獲っている。首位打者は自身初だ。テレビなどでは、先の解説者たちの中でも秋山のバッティングを称賛する声は多い。
「日本記録を作ったあたりから、OBや解説の方にバッティングを褒めていただくようになりました。ただ、言われることはうれしいんですが、自分ではまだまだだと思っています。もっと高いところを目指したいというのもありますし、これだけ褒められるんだったら、もっと打てなきゃおかしいっていう、変な違和感もある。3割7、8分くらいは打てているはず、そんな感覚を持ってしまうんです。だから、今年のオープン戦でも打ち損じると“なんで今のがゴロになっちゃうの?”って、変な感じがしてしまうんです(笑)」

もちろん、バッターは打ち損じるもの。しかし、確率的には失敗することがあるから仕方がない、とは秋山は決して思わない。そして、「そう思ってしまうと、すべてが終わっちゃいますから」と、笑うのだった。常に手綱を引き締め、自分自身を向上させていこうとする姿勢が、今の彼を作り上げてきたのであろう。

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硬式野球部のコーチと父親の面影が重なった。

野球を始めたのは2歳のときだったから、もちろんまったく覚えていない。父親の肇さんは、彼が生まれたときから、プロ野球選手にしたいと思っていたようだ。だから、秋山の野球の基本的な部分は、ほとんどが肇さんによって育まれたといっても過言ではない。彼は右投げ、左打ちなのだが、一塁ベースまでの距離が短い左打ちを仕込んだのも父親である。ただ、「僕が右打ちから左打ちへと転向したと言う人が多いのですが、最初から左打ちだったんですよ。だって、バットはこう持つ、ボールはこう投げるということを理解する前から、刷り込まれていたんですから」と秋山は言う。そして小学校1年生のときに、地元・横須賀のソフトボールチーム、大津スネークスに入団する。これも父親が決めたことである。

「ソフトと野球は別物といえば別物です。ただ、ソフトの体感速度というのは経験しておいてよかったと思う。グラウンドが狭いですから、ピッチャーの球もかなり速く見えますし、内野手をやっていても打球は速いし、捕ったらすぐに投げなくてはいけない。もし自分が子供に、ソフトか軟式野球どっちをやらせるか、となったらソフトボールをやらせますね」

そして、近くにあった中学校の陸上部にも通い始める。これも父親の発案。陸上部の顧問の先生と知り合いだったので、息子を鍛えてほしい、と依頼したのだ。
「こっちは小学生でしたから、一緒に練習するとか、そういうレベルじゃないです。知らないところに一人で行くこと自体、すごく怖かったのを覚えています」

小学校5年生の終わりには、ソフトと並行して、軟式野球もやるようになる。こうして、父親は秋山を我が手で着実に育てていったのだ。ところが、彼が小学校6年生のとき、肇さんは亡くなってしまう。スキルス性の胃がんだった。悲しみの中で、秋山は進む道を迫られることになる。中学生になったとき、軟式を続けるべきか硬式へとシフトすべきか、と。

「ソフトから硬式に行った方が、ボールのバウンドとかが似ているので、プロへの近道じゃないのか、と誰かに言われたような気がします。それに、そのときの硬式のコーチの方が、体験入部で行ったときにメチャクチャ怒鳴っていたんです。その怒り方というか、野球に対しての厳しさというのを父親とだぶらせてしまって、それが一番の決め手でしたね」

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こうして横浜金沢シニアに入団。しかし、チームに入って浮かび上がったのが野球をやめるという選択肢だった。彼が入ったチームの1学年上の選手たちが、全国大会でベスト4、ベスト8に入るといった高いレベル。その中で自分は到底レギュラーに選ばれない。これでは、とてもじゃないがプロになんかなれないと考えたのだ。
「正直、金銭の問題もありました。母親の苦労も見ていたので。だから、そんなこんなで野球をやめて普通に勉強して就職する、という道も考えたんです」

ところが、横浜創学館高校からスポーツ特別奨学生として入学しないか、と声がかかる。そして、自宅から通学できるうえ、金銭的な負担も少ないことから進学することを決めたのである。高校では1年時からレギュラーになるものの、最高成績は3年時の県大会ベスト8。そのころは、とにかく神奈川県は横浜高校が強かったのである。その後、八戸大学(現八戸学院大学)に進学。東北大学野球連盟に所属していたこの大学の監督と、高校の監督の間に繋がりがあったのだ。こちらも1年からレギュラーで、大学4年の春には、4割8分6厘という驚異の打率も残している。そして、地方大学ながら高い評価を受け、2010年にドラフト3位でライオンズの指名を受けたのだ。

「プロに入ってびっくりしたのは、まず環境のよさですね。こんなにいい施設があって、しっかり練習できるんだって。もちろん、凄い選手もいたけれど、それはプロだから凄いのか、その選手が個人的に凄いのかがわからなかったので、特別に驚くことはなかったです」
プロになってからの3シーズンは順調だったといっていいだろう。12年には初めて日本代表に選ばれ、13年にはセンターとして全試合に出場、ゴールデングラブ賞も受賞した。ところが、14年シーズンは大きく崩れてしまう。

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「成績が悪くて、若手外野手で頭角を現してきた選手たちもいて、このままやっていたら、自分の居場所もなくなるという感じでした。プロとして結果が出なければ終わり、この先はないと思いました。じゃあどうしよう、何かを捨てないと、何かは得られない、ということに考えが至った。それで、バッティングフォームを変えたんです。でも、それがあのような結果になるとは、まったく思ってもいませんでしたけどね」
その結果というのが、冒頭で紹介したシーズン最多安打記録216本である。まさに、復活の狼煙であった。そして、この記録をきっかけに秋山は大きな注目を浴びる選手の一人となり、昨シーズンの首位打者、最多安打へと繋がっていったのである。

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さて現在、秋山は自分と同じ一人親家庭の親子を主催試合に招待し、試合前には握手や記念撮影も行っている。自分と同じ境遇にいる子供たちに、夢を持ってもらいたいという思いからなのであろう。

親子が球場で笑っている。そう思うだけでうれしい。

「自分の母親に迷惑をかけたからというより、一人親家庭って共有する時間が少ないんですよ。母親は仕事をして、家事をしてっていうのをずっと続けてるじゃないですか。ひとつでもやめることはできないと思う。でもイベントが入れば、それに合わせて一緒に過ごせるってのがありますよね。週末の楽しみのために頑張れる、という気持ちも生まれますし。そういうことのひとつになればいいという感じでやっているんですよ。その日になればメットライフドームに行ける、と楽しみにしてくれる人がいて、普段そんなに会話できない親子が球場で笑っている。そう思うだけでうれしいんです」

3月30日、プロ野球は開幕し、埼玉西武は好調なスタートを切った。秋山の最初の言葉通り、選手が最終的に報われるのは、優勝という言葉以外にない。ライオンズの戦力は十分。08年、渡辺久信監督率いるチーム以来、10年ぶりのリーグ優勝も視野に入っているだろう。秋山は、どのようなシーズンを思い描くのか。

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「2位になったとはいうけれど、まだまだ1位のチームとの差が縮まっていないので難しいですね。しかし、とにかく上へ上へと向かわないと、本当に心の底から喜べるシーズンにはならないと思っています。そのためには、自分が周りの選手を引っ張れる選手でなければいけない。厳しいときにも、上に向かえるような力になれればいいですね。また、個人的にはフルイニング、最後まで出場して結果を残して、ケガをしないというのがベストです。そして、シーズンの中で、それらのことがうまく回っていけば、リーグ優勝も狙えると思っています」


●あきやま・しょうご 1988年生まれ。184cm、85kg、体脂肪率14%。2010年、ドラフト3位で埼玉西武ライオンズに入団。13年はセンターとして全試合に出場、ゴールデングラブ賞を獲得した。15年にシーズン最多安打216本と自身最高打率の3割5分9厘を記録。17年は、パ・リーグ首位打者と最多安打数の2冠に輝く活躍を見せた。


Tarzan No.740 腹トレ×凹メシ 掲載 〉
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴