Aug15Wed

いいのわたる(ウルトラランナー)インタビュー|周到な準備と罠、灼熱地獄217kmを制す。

2018.01.18

ダイエット目的から始まったランニング。長い距離と過酷を好み、サハラ砂漠や欧州アルプスを駆けまわる。ついには世界最過酷レースに優勝しちゃうのだ。

いいのわたる1

『バッドウォーター135』。あまたある超長距離走レースの中で世界でもっとも過酷といわれる大会がこれ。地名を聞くだに恐ろしいカリフォルニア州デスバレー国立公園。その中の北米大陸最低地点のバッドウォーター内陸湖(海抜マイナス86m)からアメリカ合衆国最高峰のマウント・ホイットニー(4418m)までの135マイル(217km)を走り抜く競走、というより本物のサバイバルレースである。

摂氏50度にもなる灼熱地獄のアスファルト道を進み、標高差累積(上る高さの合計)は3962m。選手は共に進むクルマとドライバーとサポーター(つまり最低2名)の同行が義務づけられている。

空高くハゲタカ舞う死の谷の死の行進。炎天に狂わされ、幻影に怯え、脱水にもがき、選手たちは次々と倒れてゆく……そんなイメージのバッドウォーター、2017年大会で日本人いいのわたるがみんごと優勝した。

いいのわたる2

摂氏50度の217kmレースに生き残ったどころじゃない、いいのは最初から勝つつもりで、灼熱炎天の下で強豪連中にトラップを仕掛けて騙して1位をかっさらった、優勝タイムは24時間56分。

いいのは前年2016年に優勝(21時間56分の大会新記録)したピート・コステルニックと、その年途中までピートとトップを競ったロペス・オズワルドをも置き去りにしている。そう、バッドウォーター初出場の、前日までルールすらよくわかっていなかった、さらに(結果として)3時間も走力の劣るいいのわたるは、彼らにまんまと作戦勝ちした。「一瞬の判断が功を奏しました」と。

過去2連勝のピート・コステルニックは超長距離の帝王、『コースト・トゥ・コースト』(全米大陸横断/サンフランシスコ〜ニューヨーク)を42日と8時間34分の最速記録を持ち、24時間走では262kmを走っちゃうすごいヤツ。その彼や好敵手のロペスを筆頭に、地獄のバッドウォーターを知り尽くしている常連トップ連中とまともに戦ったら、いいのは必ずや粘り負けするだろう、5位くらいに終わるだろう。「出るからには勝ちたい、そして勝つためには……」。

いいのわたる3

語学学校とビールとアイスクリーム。

そして。してやられたピートは28時間18分といいのに3時間以上も遅れて5位、前年の自己大会記録を6時間半近くオーバーしてしまうし、ロペスに至っては疲労困憊、リタイアしてしまった。いかにいいのの罠が効果的であったことか。

ヒトが走り出すのは、特に社会人になってから走り出すのは、99%ダイエットのためだ。走り出しても多くのヒトは嫌々だから長続きしない、そもそも運動嫌いゆえにおなかまわりが大きくなるのだから。

でも、なかには走ることに夢中になるヒトがいる。痩せればうれしい、そして「走り」そのものの楽しさ、面白さに目覚めてしまう。走る回数や距離を延ばしたくなる。ランニングは生活習慣のひとつになり、ハーフに出て、年に一度くらいはフルに出るようになる。

それでも42.195kmの先、100kmや100マイルといった超長距離に進むヒトは少ない。それ以上のランニングは時間的にも体力的にも日常生活に支障が及ぶから。彼や彼女にとってランニングは快適な日常を送るためのひとつの手段なのだから。

ところが、ランニングの面白さと快適な日常生活を天秤にかけて、走りが勝るようになってしまったら……。

自動車設計技師のいいのわたるが太り始めたのは2008年から。英語ダメ、ドイツ語もっとダメなのにドイツ・シュツットガルト本社に駐在してから。言葉が不自由なのは大いにハンデ、仕事の後に学校に通い、月水金は英語を、火木土はドイツ語を学ぶ。運動する時間なんかありゃしない。ただでさえドイツ料理はうまいし、ビールは世界最高。加えて学校の帰りにカフェに寄って自習するときのアイスクリームのおいしいことよ、おなかはどんどん大きくなる。

ある日、いいのはおなかを見つめてコトの重大さに気づく。「これはまずい、これはいかん」。30歳にしてジョギングを始めた、シュツットガルトの街を走り出す、高さ500mくらいの山なら街から走って行ける。山を走ると気持ちいいことはわかったけど、まだ本当のトレイルラニングなるものを知らない。

いいのわたる4

ダボスマラソンは78kmのトレランだった。

ダイエッターにとってコストパフォーマンスは大事。経費と距離と減じる体重。「観光を兼ねて長い距離を走るのはどうだろう」。いいのは近郊の都市マラソンにはまる、ストックホルム、ニース、プラハ……。ここまではその他大勢のダイエットランナーと変わらぬ人生だ。

そして2010年、ラン仲間からスイスのダボスマラソンに誘われた。「びっくり、起伏があると聞いていたけど、山道なんですよ。え、こんなところを走るの? 後で思えば立派なトレイルレース、しかも距離は78kmでした」。

でも楽しい、なんだオレ長い距離を走れるじゃん。しかし途中で地元の45歳の女性ランナーに抜かれた。「僕だってフルマラソンを3時間で走れるようになったのに、なんで抜かれたんだろう。くそう。今度は負けないからな」。

このあたりから、いいのわたるの人一倍の負けず嫌い魂に火がつき、走りの面白さと一緒になって、ランニングにのめり込んでゆく。これこそが快適な日常生活じゃないか。

「どうせ走るなら長いレースがいいですよね」。ここでもダイエッターはコスパを考える。ほんとか? 翌11年、サハラマラソンに出ちゃう。衣食住すべてを背負い、6日間毎日走って全行程230〜250kmというとんでもない競走。

「大会のHPに、完走したいなら《週に200〜250kmを、月間に800kmを走りなさい》って書いてあったんです。500kmくらいならできると思って、やりました」。そして16位。

「このサハラマラソン、日本人最高位が田中正人さん(1995年)の10位なんですよ。もう、その上を狙うしかないですよね」。月間500kmで16位だ、もうちょっとがんばれば10位以内にいけるだろう。

2012年サハラ再び。背負う荷物を減らした。「みんなは10kgぐらい、僕は調理器具をいっさい持たず、装備も削りに削って6.5kgくらい」。え、食事はどうするの? 「アルファ米に水を注ぐだけ、どうせ暑いからすぐにふやけます。これもレースだと思えばどおってことないですから」。そして見事に9位、日本人最高位に輝くのだ。いいのわたる、走ることが面白くてしょうがない。

いいのわたる5

12年にドイツから帰任。いいのわたるの日常はたくさん走ること。住まいも走るために横浜・青葉台を選んでいる。

「勤務先は川崎、そしてトレーニングの現場は丹沢です、ちょうどその中間が青葉台なんですよ」

会社まで毎日通勤ラン(往復36kmだぜ)、週末は町田まで自転車を漕いで行って、そこから渋沢駅まで電車に乗り、駅から丹沢塔ヶ岳まで往復、ときに2往復。どんだけ走ることが好きなのか?

「渋沢駅への戻り、途中のアイスクリームがおいしいんですよ。トレーニングの帰りですから、2つは食べるなあ、ダイエット的にはプラマイゼロでしょ」

日本に帰ってきてからはウルトラ100km(舗装路)はもちろん、海外のウルトラトレイルのレースに出まくる。キリがないから書かないけど、たいていは優勝、2位、そんなのが多い。

2016年6月、社内でインド駐在希望者を募ることがあった。いんどお? 反応は悪い。インドといっても南インドのチェンナイ(旧名はチェック柄で有名なマドラス)。日中は摂氏45度になるし、湿度は80%以上だもの、快適に過ごせる地ではないらしい。

長くて過酷なレースを走りたい、いいのわたるは手を挙げた。ウルトラの中でも過酷なサハラマラソンはすでに走ったし、南極マラソンは出場の資格がまだ足りない。ならば、次は過酷中の過酷といわれるバッドウォーター、摂氏50度の灼熱ランじゃないか。炎熱対策として、劇暑インドで1年間汗だくだくで走りまわれるのはそうとう有利だ。

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最初の10kmで先に出た、ロペスがつられて前を行く。

そして1年後、2017『バッドウォーター135』、いいのわたるの出身はインド・チェンナイ、国籍は日本であった。北米大陸のもっとも低い地点からスタート、時刻は夜11時だ。いいのにはわかっている、トップ連中と同じペースで走ったら必ずや最後には置いていかれる。

特に3連覇を狙うピート・コステルニックとそのライバル、メキシコのロペス・オズワルド、このふたりを潰さなきゃいけない。10kmくらいまでダンゴ状態、ここでいいのは勝負を懸けて前に出る、トップを走るのだ。すると(血の気が多いだろうメキシコの)ロペスがすかさずついてきて、いいのを抜いて前に出る。しめしめ。ピートはそこでは反応しなかったけど、徐々にペースを上げてロペスを追う形になった、しめしめ。いいのはペースを下げ、ふたりが自滅するのを辛抱強く待っていた。

40km地点、ロペスはまだがんばっているけど、ほうらピートが落ちてきた、そのロペスも68kmあたりでへばりはじめた、そこに伏兵イタリアのマルコ選手だ。メキシコ、イタリア、日本の順で進む。そして114kmからの下りで、いいのはトップに躍り出るのだ。やったあ。


●飯野 航 東京都出身、自動車設計技師。30歳にしてダイエット目的で走り始め、類い稀なる負けず嫌いと明晰な頭脳をもって国内外の超長距離レースに活躍する。2011年サハラ砂漠250km16位、12年同9位。14年マダガスカル250km2位、14年、15年富士五湖118km2連覇、16年ナミブ砂漠250km優勝。


Tarzan No. 733 「内臓脂肪」の減らし方 掲載 〉
取材・文/内坂庸夫 撮影/藤尾真琴 ©Alexix Berg/Badwater.com