Nov23Thu

東江雄斗(ハンドボール選手)インタビュー「海外のリーグでプレイする、これがメダルへの一番の近道」

2017.11.05

小学校1年でハンドボールを始め、大学4年で日本代表へと上り詰めた。昨年、社会人になった彼は、日本を引っ張っていく存在になりそうなのだ。

東江雄斗1

東江雄斗、東江と書いて“あがりえ”と読む。沖縄でもそれほど多くはいないが、名の通った名前で、名護市には東江町がある。彼は、昨年、早稲田大学を卒業し、大同特殊鋼ハンドボール部フェニックスに所属した。そして、社会人として初めてのシーズンでありながら、日本リーグで最優秀選手賞、ベスト7に選ばれ、得点王も獲得。

高校時代から全国に名を轟かせ、大学でも大活躍をしてきたから、社会人になってもそれなりの働きは期待されていたが、予想以上にファンをよろこばせたに違いない。まずは、彼に社会人チームの感想を聞いてみた。

「大学のトップでずっとやってきたのですが、社会人になったらどうなるかって楽しみもあったし、不安もありました。やっぱり、合流してからは、カラダでの当たりの違いであったり、スピードだったり、一段二段の違いを感じましたね。だから、最初は戸惑いがありましたし、自分のプレイを出し切れない部分もあった。でも、慣れてくるに従って、自分のプレイも出せるようになって、すべてが上手くいくようになったんです。だけど優勝できなかったのは本当に残念です」

東江雄斗2

そして、今年1月、日本代表チームは世界選手権に、2011年以来6年ぶりに出場した。東江も代表の一人として、初めて世界の強豪たちと戦ったのだが、その実力の差に愕然とさせられたと言う。

「正直言って次元が違いましたね。まず、今まではテレビの向こう側にいて憧れていたヨーロッパの選手と、初めて同じコートに立っているんだという、感動というかそんな想いを持ちました。実際にやってみると、第一にフィジカル、パワーが全然違い過ぎて……。日本リーグだとディフェンスの選手2人の間を割っていけるのに、全部弾かれてしまう。持ち味のプレイが全然できなかった」

「それに、世界選手権という大舞台で、自分の力を120%発揮できるメンタルというのも、僕たち日本選手とまったく違っていて、そういったところを痛感しました。何か、自分が小さく見えてしまいました」

ハンドボールはヨーロッパで盛んで、とくにドイツやスペインのプロリーグは非常にハイレベルといわれている。というよりは、プロリーグの存在が、個々の選手の成長を促しているのかもしれない。

それに比べて、日本チームは1988年のソウル・オリンピック以来、オリンピックに出場できていない。その実力差はもちろん大きいのだが、3年後に開催される東京オリンピックでは、開催国枠で出場ができそうなのだ。それだけに、世界との差をどうしても詰めておきたいところ。そのために、まず世界を知ることができたことは、東江にとってはひとつ大きな収穫になったことであろう。

東江雄斗3

国体で優勝したときには、いろんな想いが込み上げた。

両親ともにハンドボール選手で、東江も小学校1年生のときから、この競技を始めた。学校のクラブで、である。小学校にハンドボール部があるということに驚かれる人も多いだろう。だが、東江の地元沖縄はこの競技が盛んに行われていて、彼が住んでいた浦添市は“ハンドボール王国都市宣言”をしているほどだ。

「浦添には、すべての小学校、中学校にハンドボール部があるぐらいです。だからといって、両親が“ハンドボールをやったら”とは言いませんでした。好きなことをすればいい、と。兄(太輝=ハンドボールの元ブンデスリーガー、現・湧永)がいるのですが、最初に彼は野球をやったんです。僕も小さい頃に野球をやって、ハンドボールは絶対にやらないって言ってました。でも、兄はすぐにケガをして野球をあきらめ、ハンドボールをやるようになった。それで、僕も同じことをやりたくて、始めたわけなんです」

物心ついたときから、自分の隣にはハンドボールがあったと言う。詳しいルールまでは理解していなかったが、両親が地元でプレイしていて、そこによく遊びに行った。テレビで大きな大会があると、当然のように一家揃って観た。

article_20171105_729_here-comes-tarzan_img4

「身近にあったというのもあったのですが、今までハンドボールをやってきて、嫌いになることはなかったです。だから、やっていて楽しいし、本当に好きなんだと実感しています。ただ、小学校のときは5年、6年と県の決勝で負けてしまって全国大会には行けませんでしたけど。でも、この頃から将来はハンドボール選手になろうと思っていました。20歳の自分へ手紙を書くってのがあったのですが、その文面は“ハンドボールの日本代表になってますか?”でしたから」

浦添市立神森中学校に進学。その年、中学のクラブが全国中学校ハンドボール大会で優勝した。レギュラーでなかった東江は、試合に出ることができなかったが、先輩たちのようになりたいと思っただろう。その想いを果たせたのが、中学校3年生のとき。出場したジュニアオリンピックで優勝を果たし、彼自身はMVPにも輝いたのである。そして、ハンドボールの強豪である興南高校では、1年からレギュラーに抜擢されたのだ。

「中学校1、2年の頃は、正直、スピードもまったくなくて、ただ上から(シュートを)打てる選手ってぐらいだったのですが、成長期でカラダができてくる中学の終盤ではスピードがついてきたし、1対1での強さも身についてきました。そして、高校に入るとレベルの高い先輩たちのプレイを見て真似たり、1対1の技術を学んでいったのです」

「高校では1年のときにインターハイで優勝したのですが、2年のときはいい成績を残せなかった。だから、3年生のときに国体で優勝したときにはうれしかったです。それまでキツいことをやってきていたし、怒られることもあった。でも、チームのみんなと一緒にがんばって乗り越えてきた。だから、あのときはいろんな想いが込み上げてきて、涙は出るし、ハンドボールをやっていて、幸せを感じられたときでしたね」

東江雄斗5

大学は前述したように早稲田大学に進む。だが、進路については、かなり悩んだ末の決断だったようだ。

「日体大(日本体育大学)か早稲田のどちらかにしようと思ったのですが、なかなか決められなかった。本当に自分で決められないので、(自分が高校3年のときの)大学の春リーグで勝ったほうへ行くことにしたんです。それで、早稲田が勝ったんですね」

「それに戦術を見ると、早稲田のハンドボールのほうが自分にフィットしているようにも思った。僕が小さい頃から親に教えてもらっていたハンドボールは、ヨーロッパのスタイルを基本にしていたんですね。早稲田はコーチが過去に2年間、スペインに留学していたから、早稲田のスタイルと、自分のプレイスタイルが上手くミックスしたら、いい化学反応が起きるんじゃないかとも思ったんです」

確かに化学反応は起きた。インカレでは1年と4年のときに準優勝。2年で優勝、3年は3位になっている。東江も「自分の長所を引き出してもらった4年間だった」と、笑顔で答えてくれた。そして、大学4年のときに初めて日本代表に招集された。

「実業団のトップ選手の中に大学生が入って、最初は遠慮する部分はありましたね。でも、代表に入っているからには、国を背負って戦うということになる。そんな場所にいるのに、遠慮してどうするんだと考え直して、それからは自分らしくプレイをすることができるようになったと思います。ただ、やはり中学、高校、大学、日本代表と、すべて入ってすぐのときは、いつでもレベルの高さに驚かされてばかりでしたね」

東江雄斗6

海外には行きたいが、まずは大同を勝たせてから。

そして昨年、大同特殊鋼に入社して、現在、仕事をやりながらハンドボール選手としての日々を過ごしているのである。彼のようなトップ選手は、どのような生活を送っているのだろう。

「社会人ですから、一般の社員の人と同じように働いています。平日は8時半から5時半まで仕事をして、6時から練習を始め、8時まで続きます。それから、チームでウェイトトレーニングの時間を設けているんですが、足りない部分は自主練習で補うようにしています。日によって部位を変えるようなやり方で、週に4日というところですかね。だから、平日は仕事とハンドボールだけしかできません。寮に帰ったら、シャワーを浴びて、ごはんを食べて、カラダのケアをしてもらったら、あとは寝るだけなんです」

東江雄斗7

大同特殊鋼は日本リーグで2011年から14年まで4連覇を飾っているが、その後2年間、優勝から遠ざかっている。最後に今季リーグへの意気込みと、東京オリンピックへの想いを聞いてみたい。

「僕の背番号20番は、韓国のスーパーエースのペク・ウォンチョル選手が大同にいたときにつけていた背番号なんです。永久欠番だったのですが、僕がどこに行くかを迷っているときに、当時の大同の監督に“20番をあげる、日本のペク選手になってくれ”と言われたんです。僕もペク選手に憧れていたし、それじゃあと思って……。でも、昨シーズンは、個人タイトルは獲れたんですが、優勝を逃してしまった。だから、今年は勝たせるエースにならないといけないと考えています」

「そして、日本代表の現状はさっき話した通りで、世界とは差があります。海外のリーグでプレイすることが、差を縮める一番の近道。そういう日本選手がどんどん増えていけばいいですね。僕も海外には行きたいんですが、まずは大同を勝たせてから。日本代表の合宿でも、ヨーロッパの選手を積極的に招くようになっています。オリンピックでメダルを獲るためには、まずフィジカルの強化。そして、日本の持ち味であるスピードを生かした攻守。さらに監督の哲学を深く理解すること。これは、メンタルに通じます。これらがしっかり強化できれば、メダルも可能だと思います」


●あがりえ・ゆうと 1993年生まれ。184cm、85kg、体脂肪率13%。小学生からハンドボールを始め、興南高校1年時にインターハイで優勝。3年時には国体で優勝する。早稲田大学ではインカレで1年と4年時に準優勝、2年時に優勝を果たす。昨年、大同特殊鋼フェニックスに入り、日本リーグで3つのタイトルに輝く。


Tarzan No. 729 ボリュメトリクス 掲載 〉
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴