Aug23Wed

髙木美帆 スピードスケート選手

2016.09.01

自分ができることをやれば、それがレースでの自信に繫がる。

史上最年少の15歳、中学生の女の子はオリンピックの舞台に立った。
あれから6年。彼女は2回目の舞台に立つべく、日々を過ごしている。

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実は、冬季オリンピックで金メダルを獲得した女子のスピードスケートの種目はない。しかし、昨年の2月に行われた、オリンピックに次ぐ権威ある大会の世界距離別選手権で、強豪オランダを破り、見事に1位に輝いた種目がある。それが女子チームパシュートだ。この種目は3人がチームを組んで一周400mのリンクを6周し、3人のうちの最後の選手がゴールしたタイムで競われる。レースは先頭の選手を入れ替えながら展開していく。なぜなら、先頭は風をもろに受けるために、大きな力を発揮しなくてはならず、後方についた選手はその分、力を溜めることができるからだ。日本チームは、髙木美帆、その姉である菜那、そして菊池彩花。髙木は6周のうち3周を先頭でチームを引っ張り、勝利に貢献したのである。これまで、この種目はバンクーバー・オリンピックでは3位、ソチ・オリンピックでは4位だった。安定して上位に食い込んでいるし、今年の世界距離別選手権も2位に入ったので、確実に力をつけてきているようにも見える。髙木には、まず金メダルを獲った世界距離別選手権について語ってもらう。

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「去年の前半戦は自分の調子がよくなかったのですが、終わりの方で上がってきたんです。で、距離別(世界距離別選手権)も補欠ということで参加していたのですが、私が出た方がいいというお話をいただいたので、出場することになったんです。だから、ぶっつけ本番じゃないですけど、いろいろ試行錯誤したうえの結果というよりは、どちらかというとボーンと行っちゃった感じで、自分たちも予想外の1位だったというのが正直なところでしたね。私が3周を受け持ったのは他に出る種目が一番少なくて負担があまりなかったことと、右肩上がりで調子がよくなっていたから。3人の中でも私が3周引っ張るのがベストだと話し合っていたんです。あのときの自分は、スピードは出せないけど地脚(長い距離をトップスピードで維持できる脚)がある。逆に菊池さんはスピードが出るけれど最後まで持たないかもしれない。だから、私が最初の1周を滑って、次に菊池さんが1周半、その後姉が1周半で、残り2周が私という作戦になったんですね」
スピードスケート選手の難しさは、相反する2つの力を蓄えなくてはいけない点だろう。それが瞬発力と筋持久力である。すばやくトップスピードに持っていくためには瞬間的に大きな力を出す必要があるし、そのトップスピードを維持していくには長時間、力を発揮し続けることが不可欠となる。この2つの力を培っていくための練習は、とにかく過酷だ。ある男子選手を取材したときなども、練習後に階段を上るのもキツイ、と言うこともあった。髙木はチームパシュートの他に、1000m、1500m、そして3000mの選手として活躍しているが、それぞれの種目は、彼女の中でどのように位置づけられているのか。
「自分の中ではどれか一種目に絞ってやっていくよりも、全体的に平均でやっていく方がどんどん(実力が)上がっていく感覚があります。だから、たとえば1000mに特化したような練習をすると、あまり上手くいかないと思います。ただ、結果的に一番しっくりきているのは1500mですね。でも、1500mを滑るためには、間違いなく1000mも3000mも滑れないと、世界では戦えないというのがあるので、全部やるということです。1000mのスピードや、3000mの持久力やゆったりとリズムに乗って滑る感じとかが、1500mに生きてくると思っているんですね」

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最初は面白くなかった。辛い、痛い、寒い(笑)。

5歳でスピードスケートを始めた。4つ上の兄が、長野オリンピックで金メダルを獲得した清水宏保さんを見て、本格的にクラブチームに入ったのが始まりである。翌年に今も四六時中一緒にいるチームメイトの姉とこのクラブに入った。
「最初は面白くはなかったですね。辛い、痛い、寒い、三拍子揃った感じで(笑)。ただ、もともとカラダが恵まれていたので、他の小学校の子たちよりひと回りぐらい大きくて、それがスケートで結果を出すのに繫がった。小学生でも全国大会があって──多くが北海道の子なんですが──ほとんど負けなしだったのかな。それで楽しくなっていったんですね」
ただ、このときはスピードスケート一本だったわけではない。小学校2年生から始めたのがサッカー。こちらも中学校3年まで続けたのだが、驚くことに男子に交じってフォワードでレギュラーを奪取。女子U―15の代表合宿にも参加するまでの実力だった。しかし、髙木は何の迷いもなくスピードスケートの道を選ぶ。
「楽しさが違いましたね。サッカーはみんなでやる面白さがあった。スケートの楽しさを知ったのは、小学校5年生のときに島崎京子(現・杉山京子)さんが作った〈チームマックス〉に入って指導を受けるようになってから。技術的な難しいことをいろいろ言われるのですが、それをどうすればカラダで表現できるかということを考えるようになって。そこから、カラダを動かすことの楽しさに気づき始めて、滑りも大きく変わったんです。実は、それでも面白かったのはサッカーだった(笑)。でも、向いていたのは多分スケートだったんでしょうね。繰り返し繰り返し自分のカラダに動きを染み込ませて、地道なことをずっと続けるのが、自分には合っていたんだと思います」

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そして、中学校3年のとき、衝撃のデビューを果たす。バンクーバー・オリンピックの代表選考会が長野のエムウェーブで開催され、髙木は1500mで優勝、1000mと3000mで3位になり、1000m、1500m、チームパシュートの代表に選ばれたのだ。
「まさかオリンピックに出られるとは思ってなかったから、選考会に出るのもギリギリまで悩んだんです。でも、選手全員が出られる大会ではないし、その次のオリンピックを狙うためにはいい経験になるということで行ったんです。だから、代表に選ばれたときは、びっくり。そのときは、実感はほとんどなかったです」
中学生のオリンピック挑戦は、結果を残せなかった。だが、学びになった出来事はあった。それが、シニア選手のひたむきさだった。
「シニアの人たちって凄いなと思いましたね。日常生活がこんなにスケート中心になっているんだって。自分を律しているし、自主的なトレーニングも真剣に行う。スケートのためだけにという姿を、選手村で見たんです。それまで身近にシニアの選手があまりいなかったし、中学生でサッカーもやってという感じでしたから(笑)、本当に凄いなと思ったし、今でもそのときの風景というか、思い出はまったく褪せていないんですよ」
オリンピック後も髙木の活躍は続く。世界ジュニア選手権では、姉と押切美沙紀と組んでチームパシュートで銀メダル。ワールドカップでは1000mで世界ジュニア記録を樹立。2013年には冬季ユニバーシアードの1000mで優勝する。そして12、13年に世界ジュニア選手権で総合優勝。なんとも輝かしい成績だが、この連覇の後に行われたソチ・オリンピックの代表選考会では、代表を逃してしまうのである。だが、髙木はこの落選を冷静に振り返る。
「バンクーバーからソチまでの4年間、オリンピックに懸ける想いや、スケートに対する姿勢が、自分の中では手を抜いたつもりはなかったんですが、できていなかったんでしょうね。ソチの年になって周りを見てみたら、自分の気持ちの入り方は他の選手ほどではなかったように感じた。ただ、高校の3年間はスケートだけに縛られるのではなく、普通の高校生としての生活も大切にしたかったし、そういうふうに過ごせたのはよかったと思っています」

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全体的なレベルが上がれば、表彰台は近くなると思う。

高校時代は後悔していない。が、次なる4年はもう始まっていて、すでに折り返し地点を過ぎてしまっている。髙木はこの4年間をやり切った年月にしたいと言う。そのために、かつて、ただただ驚いたシニア選手のように、自分を律して、日々を淡々と送っているのである。その結果、1500mや3000mでも、世界の上位と争えるようになってきた。
「去年は安定した結果を残せたのですが、それはあくまで去年の話で、今年どうかというのが大事だと思っています。1年もあれば、いくらでも順位は変わってくるので。楽しみでもあるし、恐怖というのとは違うけど、スリルみたいなものもありますね。今は、ロードでバイクに乗ったり、インラインスケートで直線を走るような練習をしています。トレーニングは、やっぱりキツイです。脚にきますね。上手く動かせなくなります。だから、クールダウンで軽めのバイクを漕いだり、ゆっくりジョギングをしたり。あとは、たっぷりのご飯と睡眠ですね(笑)」
8年越しのオリンピックの夢。目指すは2018年、韓国で開催される平昌オリンピックだ。これまでの種目に加え、このオリンピックから新たに正式種目として採用される、マススタート。出場選手が一斉にスタートして、ポイントを加算しつつ、順位を争う競技だ。髙木は今年の世界距離別選手権で3位に入っている。さて、オリンピックへの思いは……。
「平昌オリンピックまでに自分ができることをどこまでやれるかということが、レースに出たときの自信に繫がると思います。そのためにも、しっかりと取り組みたい。自分のスピードや持久力は、選手の中ではまぁそこそこだと考えているんです。特段、何ができないとか、できるというのがない。だから全体的にレベルを上げていきたいんです。それができれば、マススタートや他の種目も、今の順位は世界の中で1桁台なので、表彰台に近くなると思っているんですよ」


●たかぎ・みほ 1994年生まれ。164.5cm、58kg、体脂肪率15%。2010年、中学3年生のとき最年少でバンクーバー五輪出場。同年、世界ジュニア選手権チームパシュート銀メダル。12年、ワールドカップ1000m世界ジュニア記録を樹立。13年、冬季ユニバーシアード1000m優勝。12、13年に世界ジュニア選手権で総合優勝する。


〈Tarzan No. 702掲載〉
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴